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フランクファーターにはなりたくない [コミック]

「誰のための綾織」問題は、絶版・回収という結果が出て、
もう終わったことです。
そんなところに、「表現の自由」をテーマにしている弁護士さんが、
“パクリだ盗作だと騒ぐ件が続いているからちょっと言っておこう、
ちょうどいい題材があるし”
(こう思ったような気がするだけですが)
と検証サイトを批判する文章を書いていらっしゃいます。
検証サイトとそれに屈した出版側を
問題にしているようですので、
「はみだしっ子」とは直接関係ない話です。
メンドくさい論調になってしまっています。
ああ、もうちょっとましな文章が書けるようになりたい


 「弁護士山口貴士 大いに語る」というブログに
【平成の表現狩り】検証サイト問題というエントリーがあります。
「はみだしっ子との類似点比較」という検証サイトを
「ざっと見て」
「私が見たところ、特に著作権的に見て
問題となる類似性があるとは思えません」
との見解を出しています。
どちらの本も読まずに検証サイトだけ見て
判断すればそうなのかなと思います。
はみだしっ子を大事に読んでいた読者には
考えられないことですが。

ただし、どちらも読んでいないのならば
タイトルに「弁護士」と入っているブログで
簡単に言い切ってしまうのはおかしい気がします。
(《私は「はみだしっ子」という作品を
「まんだらけ」にて購入して読んでいます》
というコメントが後でありましたが)

「一般的に十分な根拠と正確な法律知識に基づかない、検証サイトの開設行為は、
作者ないし出版社に対する名誉毀損ないし営業妨害になりうることもまた、
知っておいて欲しいと思います」

と安易に検証サイトを作るなと警鐘を鳴らす論調。
「正確な法律知識」に基づけば、この検証サイトが
実際に名誉毀損ないし営業妨害と判断される可能性が
高いのかどうかという事にも
言及していただきたいところです。

「このサイトの作者が何をしたいのかよく分かりませんが、
自らの行為が表現行為を萎縮させ、表現文化の圧殺の一端を担っているということ
はよく自覚していただきたいと思いますし、サイトの作者には、
地獄への道は善意で舗装されている
」という言葉を捧げておきます」 

この恫喝に近いような発言こそ【批評する側】の
「表現行為を萎縮させ、
表現文化の圧殺の一端を担っているということ」
ではないのですか。
方手落ちではないですか。

なんか腹立たしいけれど、
それは三原順作品のファンであるから
感情的になっているだけなのかなとも思ったし、
うまく考えがまとまりませんでした。

で、しばらく様子を見ていると、コメント欄が賑わってきました。
いろいろなコメントがあります。読んでいるとおもしろい。
きちんと論理を組み立ててコメントしている方を見ると、
もう私なんかが書く気になりません…
まあ、人づてに聞いた話を披露して、
あげく同じファンとして不快だなんていう
わけわかんないコメントもありますが。
私も実はエキセントリックな三原順ファンです。
ごめんなさいね。ふつうのファンのひと。

「はみだしっ子」との類似点比較
というサイトは、著作権、表現行為ということについて十分に調べることなく、飛鳥部勝則さんの著作について「パクリ」と決め付けた上で、「誰のための綾織」という作品について絶版・回収騒ぎを引き起こし、世間の人々が「誰のための綾織」という作品を読む機会を奪うきっかけになったのですから、その姿勢と責任が厳しく非難されるのは当然であると思います。

3回にわたって書かれたエントリーの最後は
こう結ばれています。
あのサイトは例の作品を「パクリと決め付け」ていますかね。
両方の本を読んだ上で比較して、
これを読んでどう思いますか?と
提示しているだけのように思いますが。

絶版・回収を決めたのは出版社ですから。
きっかけかもしれないけれど、
不当な圧力ではありません。
心当たりがないならば、
毅然とした対応をすればよかったのに。

出版社と作者が謝罪コメントを出して、
この問題を収めようとしているのに、
この弁護士さんは何をしたいのでしょうか。
正義感を振りかざしているのは弁護士さんのほうでしょう。

 「はみだしっ子」を心に留めている人たちは、
人が人を裁くことの難しさをわかっていると思います。
三原順の作品の中で語られていることだからです。
最も早くはみだしっ子との類似の多さに気がついて
文章にされた方は、
絶版・回収を望んで書いたわけではないはずです。
この作家さんが三原順氏のファンであるならば
一言あってもいいのではないかと、
そういった気持ちだけだったと思います。

何で「はみだしっ子」の問題に弁護士が出てくるかね。
この弁護士さんの論理に感情的になって、
反論する言葉を考えていると、
「フランクファーターになりたくない」
という言葉が浮かんでくる。
ファンである感情を優先させるために
論理を組み立ててしまえば、
「フランクファーターになれる」
と言ったグレアムが蘇ってくる。

この記事を書くのには、とても時間がかかりました。
しかも思ったことが書けていません。
公開するかどうか迷いましたが
「はみだしっ子 盗作」で検索して
来てくださっている方がいらっしゃいますので、
残しておくことにします。
とりとめもない文章で申し訳ありません。

「パクリよりひどいもの!?」という記事が
「日本文学ふいんき語り」というブログにあります。
「誰のための綾織」を読んだ「はみだしっ子」ファンの
ライターさんの感想がおもしろいです。
(付箋だらけの本の画像も)
私は「誰のための綾織」を読んでいないのですが、
この本を読んだ三原順氏のファンの方は
きっとこんなふうに思ったんでしょうね。

作家さんと弁護士さんは終わりにしたくなかったようですね orz
「誰のための綾織」(原書房)絶版に関しまして」
http://www.max.hi-ho.ne.jp/s3k1/a/
11・15追記―2回文面を変えているそうなので、
今回が3回目のコメントです。


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コメントの受付は締め切りました
full-moon_city

昨日は、nice!を押したところで、電話がかかってきて席を外している間に、書きかけのコメントがフリーズしちゃいました。(^^ゞ ですから、まるで、ピンポンダッシュをしたような形で失礼しちゃいました。ごめんなさいm(_)mペコリ

作家自身は、絶版が納得いかない、とコメントを出されているようですが、それはもう出版社と作家との係争になるわけで、その係争を出版社が「いや、読者の投書があったから」と読者に責任をなすりつけることはできないんじゃないか、と。そうなると読者はもう出版社に何ひとつ意見を書けない(笑)。

表現狩り、という世間を煽るような言葉で論告している記事に、むしろ私は法律という名を借りた圧力を感じてしまいました。
法律というのは、悪意がそこにあっての行為でも罪ではないと主張することができるし、悪意がない行為に太刀しても罪を断じることができるという矛盾をはらんだ部分があるので、本当に使い手によるところがありますね。

私はなかなか冷静に文章を書けないので、考え考え、長くなってしまいました。ごめんなさい。
by full-moon_city (2005-11-16 17:05) 

miyuco

>ann-eさん
この件について何か書くと長文になってしまうのは、よくわかります。
私もそうです。「弁護士」という職業をタイトルに入れている方の文章について
意見を書くのは何だか慎重になってしまいます。受け手の捉え方だと言われてしまえばそれまでですが。弁護士さんが表現狩りという言葉を使って記事を書いてしまえば、読んだ側はann-eさんのおっしゃるように否定的な強い力を感じ取ってしまいます。はみだしっ子ファン以外の方のコメントが多かったのもここに反応されたのかもしれません。
表現の自由をテーマにした弁護士さんの営業活動と自己保身に走るだけで問題点を理解していない作家さんの組合せにつきあうのはもうイヤですね。
静かにエキセントリックな三原順ファンに戻りましょう。
by miyuco (2005-11-17 08:50) 

ちょっと質問

古い話に今頃コメントを、と思われるかもしれませんが、昔から作家は資料から引用した場合、引用元は明記しないという暗黙の了解があります。
一つにその作品をこしらえる上で、引用元を明記すると作品の印象がぶち壊しになること、さらに何を参考にしたかという指標を残すためでもあるのです。現にあなたが書いておられるとおり、三原順もエマーソンの言葉をひき、聖書の言葉を引用しながら引用元は記してはいません。(『はみだしっ子』を読んでその引用を知らない方は「三原順の言葉」として理解している人もネット上にはいらっしゃいます。)
さて、そこでもし、飛鳥部氏の引用が、過失であった場合どう考えられるのでしょうか、ちょっと教えていただきたいのですが。
たとえば、これが飛鳥部氏が中学時代から作った資料メモからの引用であり、その多数の引用の中に紛れ込んでいて、十代の子供のやることで出典をメモしていず、そのまま資料引用してしまったいわゆる「過失」であったとしたら。
事実『誰のための綾織』には「はみだしっ子」の引用は単行本ではなく雑誌連載の時のものと考えられるような、時間的に偏った引用の仕方がされ、また「はみだしっ子」以外からの多数の引用が見受けられます。(これに関してもなぜ「はみだしっ子」のみをとりあげて騒ぎたてられたのか謎であります。)
盗用との判定や、絶版、回収の処置などは適切な処置だと思われますか。上記、仮定の話でたいへん失礼ですが、よろしければお教えくださいませ。
by ちょっと質問 (2007-03-18 01:02) 

miyuco

3月20日は三原順さんのご命日です。
「はみだしっ子」は私の心の一部分になっているから、
もう読むことはないだろうと、一時は本を手放してしまいました。
まさか、思いつきで始めたブログで「はみだしっ子」について
こんなに書く機会があるとは思いもしなかった。
合掌。

通りすがりの名無しの質問者さんへ。
「昔から作家は資料から引用した場合、引用元は明記しないという暗黙の了解があります。」
よくご存じでいらっしゃいます。私は「誰のための綾織」問題の時に、
ネット上に飛び交うさまざまな意見を読んで、初めて知りました。

作者さんは「過失」だという意味のコメントを残しています。それだけ。
「三原順さんへのリスペクトはないの?」
ここに「はみだしっ子」を愛するわたしは(たぶんわたし以外の多くの人も)引っ掛かったわけです。
もうひとつは、三原さんがご存命ではないこと。それゆえ、この作者さんは甘い見通しでいたのかなと思うと…
そんな気持ちで自分のブログに文章を書いた次第です。

☆飛鳥部氏の引用が、過失であった場合どう考えられるのでしょうか
あまりにも不用意な行為だったと思います。
十代の子供が十代の判断基準でストックしておいたものを
40代になったプロ作家が、その資料の出典も何も考えずに
アレンジしてオリジナル作品に紛れ込ませたということですよね。
結果として。

たとえば、同じ事を読者の多い宮部みゆきがやったとしたら
どれだけ激烈に作家としてのモラルを問われることか。

☆盗用との判定や、絶版、回収の処置などは適切な処置だと思われますか。
「絶版、回収の処置」は出版社と作者さんの問題ですので
私はコメントできる立場ではありません。

「はみだしっ子」からの引用であることは、作家さんも否定してないですよね。紛れ込んだという「過失」であって「故意」ではないというようなニュアンスですが。法律的な「盗用との判定」が出来る立場では私はありません。

三原順作品のファンとして「不愉快」だと書く「表現の自由」はわたしにもあると思って記事を書きました。

堀川成美さんという方のブログに「盗作認定は妥当ではない」という記事があります。
http://blog.kansai.com/2593+kdc_category+22

三原順メモリアルホームページ「『誰のための綾織』に関して」
http://tateno.pos.to/mihara/m2005.html

もしよろしければ、こちらもご覧になってみてください。
(もうお読みになっているかもしれないですけど)
by miyuco (2007-03-18 23:01) 

(匿名の)ちょっと質問

ご返答ありがとうございます。

ところでたいへん気になるのですが、
>「三原順さんへのリスペクトはないの?」
というところですが、なぜ「リスペクト」が必要なのでしょうか。
まず資料引用には「リスペクト」は必要ありません。
また、方法として踏まえる場合も、世の中には批評の意味をこめたり、芸術的な遊びで行うものもあって、必ずしも「リスペクト」は必要ないわけですが。
もし三原順のファンを考えてというのなら、世界的標準にてらしては、そのファンの主張は傲慢以外の何ものでもありませんがそのことについてどうお考えですか?

また、十代のもの(正しくは中二~高一)を調べもせず引用したならば非難されても仕方がないとあります(ちなみに想定すると飛鳥部氏のものは年間数百単位の資料ではないかと思いますが。人によって資料の作り方も量も違うますよね。なんで宮部みゆきなのかな?)が、ネット上にはもう中年に達した方で立派な社会人でもエマーソンの言葉を「三原順の言葉」として紹介しています。誰も訂正しないところを見ると、「はみだしっ子」の中にある「膨大な資料」を資料として認識できていなかったということではないでしょうか。プロの人がみても時間が経って抜き出され、原本が消えた場合資料とオリジナルの判別が難しいものです。そして、どちらかというと盗用として指摘されたものは資料や当時の感想として錯誤しても仕方のないものだと思われます。

当時検証もどきサイトを作っていた方も「盗作を指摘したわけではありません」と逃げておられましたが、こうしてネット上で書く以上は発言に責任があります。類似性を指摘しただけで自分の意見は申せませんでは、ただの責任逃れにしかすぎません。言語化していないからといっても、全体の文脈がその結果を招いているのであれば発言しているのと同じことです。
ちなみにあなたは別のブログ記事で「ふざけるな」とおっしゃってましたから、盗作だと認定し、絶版回収は妥当だと考えておられるということですよね。
どうして上のコメントで言っておられることが違うのでしょうか。
また一つ勘違いしておられるようですが、盗用と認定するのは法律に限ったことではありません。あなたがその文脈の中でそうと読める書き方をすればその時点で「盗作認定」です。

「表現の自由」とは、その発した内容に対して責任を持つことです。無法地帯で暴れるという意味ではありませんよね?
不愉快を表明をするのがあなたの自由であるかもしれませんが、それが不特定多数に発信されるとき、後で何かあったときの責めを負わされるのももちろん当然だとは思います。飛鳥部氏が「表現の自由」で表現し、匿名の人たちに責められたのと同じことです。
ぜひ、このブログは残しておいておかれるべきだと思います。

ところで、「誰のための綾織」には、「はみだしっ子」以外の引用にも多数引用が見られますとは前にも書きました。さらにパスティーシュとしてある作品が全体に利用されていることはお気づきですか。ぜひお教えください。
by (匿名の)ちょっと質問 (2007-03-18 23:39) 

miyuco

>匿名の方へ
「盗用と認定するのは法律に限ったことではありません。あなたがその文脈の中でそうと読める書き方をすればその時点で「盗作認定」です。」
おっしゃるとおりです。私はそういう書き方をしています。

「それが不特定多数に発信されるとき、後で何かあったときの責めを負わされるのももちろん当然だとは思います」
これもおっしゃるとおりです。
この内容のブログを消すようなことは考えていません。

「誰のための綾織」の内容については、わかりません。
by miyuco (2007-03-19 10:27) 

やはり匿名

すいません、忙しくしてる間にここのアドレスが不明になってしまい、お返事が遅れてしまいました。ご返答ありがとうございます。
ええと、上でご紹介いただいてる堀川氏のページに先ほど行かせていただきましたら、あの作品はもともと先行作品を組み込んで作るのを目的として作られたそうです。

そのうちの一つが「はみだしっ子」だそうで、方法としても問題ないと書いておられますが。組み込まれているものは、アガサ・クリスティー『アクロイド殺人事件』、アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』、横溝正史『本陣殺人事件』、三原順『はみだしっ子』だそうです。

私もまだ詳しくは読んでいませんが、堀川氏の説によると盗作ではありませんよね。パスティーシュと考えてるのは私一人ではなかったようですね。しかも四つ。お教えいただきまして、ありがとうございました。
miyukoさんは上のURLを書きながらそれでも盗作とおっしゃってるんですよね。
私にはあなたの真意がよくわからないんですけど。
堀川氏の論文の方にも目を通させていただきたいと思います。ありがとうございました。
by やはり匿名 (2007-03-25 23:31) 

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