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『滝山コミューン一九七四』 原 武史 [読書]

「班競争」「ボロ班」忘れられない苦い記憶がある。
(前回のエントリー 「班競争‐個人的体験」 で書きました)
教師が何かを手本にして指導しているとわかっていたので
それが何なのかずっと探していた。
教育関係の本を読んだりネットで検索したりしてもわからない。
その答えをこの本で見つけました。

実践された指導方法がどの程度広まっていたのか
まったく知らなかった。
朝日新聞紙上で批判されていたくらいだから
全国のあちこちで展開されていたのですね。

私の通っていた小学校は「コミューン」にならなかった。
保護者の支持、同僚教師の黙認がなければ
この試みは成功しない。
「滝山コミューン」が成立したのはなぜか。
郊外の団地を舞台にあの時代の空気が記録されています。

以下、感想…とは言えないかな

教育基本法はGHQの干渉を受けて制定されたために
「個人の尊厳」を強調しすぎた。その結果、戦後教育は荒廃した。
このような歴史観は問い直されるべきではないかと
自分の体験をふまえて筆者は書いています。

東久留米市の出来たばかりの滝山団地に新しい小学校ができる。
そこに新任の教師が「異色の教育」を持ち込んだ。
それは一つの学級だけではなく
学年全体、学校全体の行事をも牛耳ることになる。

「異色の教育」とはなにか。
ひとつは「水道方式」と呼ばれる算数の授業。
そして日教組の自主教研の中から1959年に誕生した
全国生活指導研究協議会、略して「全生研」が唱える
「学級集団づくり」である。
「集団はひとつの力になりきらなければ、
社会的諸関係をきりひらいていき、変更していくことは不可能である。
まして、非民主的な力に対抗していくことは不可能である。」
「児童は教師から「正しい指導」を受ければ、
必ず集団の担い手としての自覚をもち、
自ら集団を変えてゆくとされるのである。」

この理念の元で実践されたのは「班づくり」そして「班競争」
全生研は軍隊で使われていた用語「班」を60年代になって
学校教育の現場に持ち込んだ。
連帯責任をキーポイントに集団の担い手であるという自覚を促す。
集団主義教育です。
自由よりは平等、個人よりは集団を重んじる。

「学級集団づくり」を確立した一つのクラスが「中心学級」となり、
代表児童委員会を媒介に「全校集団づくり」へと進んでいく。
筆者は同じ学年の違うクラスだったので
それまではこの指導方法は対岸の火事のようなものだったが
ここにきて直接的に巻き込まれることになる。
六年生の林間学校はこの教師の指導方針に支配されていた。
そこでの苦い経験が筆者のトラウマの核になっているようです。

筆者は「滝山コミューン」を否定するだけではありません。
「滝山コミューンは、成年男子を政治の主体と見なしてきた日本の、
いや世界の歴史にあって、児童や女性を主体とする
画期的な試みだったのではないか。」
「現在の自分が過去を裁く特権的な地点に立っていることは
自覚しているつもりである。」

ボロ班をクラスメイト全員で批判する「追求」。
これが奨励されていたと知って驚きました。
「集団の名誉を傷つけ、利益をふみにじるものとして、
ある対象に爆発的に集団が怒りを感じるときがある。
そういうとき、集団が自己の利益や名誉を守ろうとして
対象に怒りをぶつけ、相手の自己批判、自己変革を要求して
対象に激しく迫ること― これをわたしたちは「追求」と読んで、
実践的には非常に重視しているのである。」(『学級集団づくり入門』)
この大人の乱暴な理念が私が小学四年生のときのクラスで
実際に実践されていたのだ。
過去の自分のクラスメイトたちが不憫です。
そして全国で教師主導のもとに「追求」をやらされていた子どもたちが。

教育現場で【「個人の尊厳」を強調しすぎていた】ことを
児童の立場で実感していた人ってどれくらいいるんだろう。

連合赤軍の「総括」という言葉を初めて聞いたとき。
ノルマに厳しい会社の会議で成績の悪い社員が
叱咤激励される場面をテレビで見たとき。
精神論と人格否定の「ボロ班への追求」がよみがえってくる。
悪夢です。

いきすぎた班競争は弱者を排除する。
イジメの温床となるのは当然です。 
今現在では過酷な班競争にさらされる子供たちは
少なくなっているでしょう。
全生研の指導方法は淘汰されたようにみえます。
それでも、「班」と一体化した連帯責任の
同調圧力が消えることはないでしょう。

「班づくりの方法が、小手先だけの技術として
ばけもののように日本の学級・学校のなかをとびまわり
毎日、子どもをいためつけているのではないか」

『滝山コミューン一九七四』で書かれていることは
「自らの教育行為そのものが
別の形での権威主義をはらむことになるなどという自覚」
は教師にはつゆほどもなく
「教育とは自己形成の営みであり、
学校はこれを共同的に具現する場所なのだという
美しい物語が、一定のリアリティをもって維持されえた」
時代の証言でありました。

「政治の季節」が終わっても社会主義の理想は
信じられていた。
新任の教師に理想はあったのでしょう。
でも全生研の指導方法は教室を支配するための
便利なマニュアルになってしまった。
いったんルールを決めてしまえば簡単に動き出す。

そういえば妹の若い担任は親たちのお中元を一軒一軒
返してまわり、同時に「赤旗」の勧誘をしていた。
そういう時代でした。

90年発行の『新版学級集団づくり入門』では
「学級集団づくり」そのものは維持しながも
「班競争」「ボロ班」「追求」などの言葉がすべて消えることになった。

「全生研」の現代表である折出健二・愛知県教育大学教授は
これまでの全生研のありようを批判しているということです。

*****

ネットで書評をいくつか読んだ。
「教師や学校との関係にここまで敏感にならなければ
ならなかった子供はとても不幸だと思う。」
「少なくとも私はこの本に「感動」するような子供時代をもたなくて
本当によかったと思う」
その通り、敏感にならなくてすむ子供でありたかった。
私の妹たちや子供たちのように、健やかでありたかった。
でも、そういう子供になれなかった私は
こういう揶揄したような文章を書くプロの「評論家」の名前を
忘れないし、決して信用しない。

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

  • 作者: 原 武史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/05/19
  • メディア: 単行本


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