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作詞家、阿久悠さん死去 [music]

「また逢う日まで」「勝手にしやがれ」など
5000曲以上の歌を作詞し、
昭和40年代後半から50年代の歌謡曲の
黄金時代を牽引(けんいん)した作詞家で作家、
阿久悠(あく・ゆう)氏が
1日午前5時29分、尿管癌(がん)のため死去した。70歳。

ヒットメーカーとして、森田健作「さらば涙と言おう」、
森昌子「せんせい」、
ペドロ&カプリシャス「五番街のマリーへ」、
沢田研二「時の過ぎゆくままに」など
当時のヒットチャートをにぎわした。
日本レコード大賞は「また逢う日まで」「北の宿から」
「勝手にしやがれ」「UFO」「雨の慕情」と5回受賞している。

また46年から日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生」の
審査員を務め、森昌子、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、
小泉今日子ら数多くのスターを生み出した。

sankeiwebより抜粋
http://www.sankei.co.jp/culture/enterme/070801/ent070801001.htm

*****

具合が悪かったことすら知らなかったのでビックリしました。
小学生の頃からしばらくは
印象に残る曲が必ず「作詞・阿久悠」だった。
山本リンダの「どうにもとまらない」「狙いうち」や
フィンガー5、ピンクレディーの歌詞のような自由奔放なものから
「ジョニーへの伝言」「五番街のマリー」 のような
心にしみ入るストーリー性のある歌詞まで、
どれも職人芸でした。

「阿久悠」という名前と顔が一致したのは
「スター誕生」を見てから。
その鋭い指摘と厳めしい表情が圧倒的で
きらびやかなイメージしかなかった芸能界が
実は厳しい場所なんだと思い知らされた番組でした。
「スター誕生」を見ていたから、
たとえ若い歌手でもプロフェッショナルな方はいるし、
敬意を持って遇されるべきだという考え方が
身に付いたような気がします。

沢田研二の曲が大好きだった。
無敵のオーラを放つジュリーが唄う阿久悠の歌詞は絶品でした。
「時の過ぎゆくままに」は完璧だった。
〈もしもふたりが愛せるならば 窓の景色も変わってゆくだろう〉
http://www.youtube.com/watch?v=H0aEDOzzp_w

岩崎宏美「ロマンス」
〈あなたお願いよ 席をたたないで〉
なぜこんなふうにせつなく始まる歌詞を書けるんだろう。
これだけの言葉からいくつものストーリーが頭の中に浮かんでくる。

「ジョニーへの伝言」「五番街のマリー」 
この歌詞のなかの物語も好きでした。

山口百恵の曲を書いてないことに初めて気がついた。

阿久悠の偉大さを書き出すときりがない。
心よりご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/阿久悠

 


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コメント 8

びっけ

私も訃報に驚きました。
阿久悠さんが残した珠玉の名曲、まさにそれにどっぷりつかっていた世代なので、使い古された言葉だけれど「私の昭和がまた一つ終わった」という感じです。
歌謡曲だけでなくアニソンも多く手がけていらっしゃったのですね。
そうか、「宇宙戦艦ヤマト」も彼だったのね・・・。
ご冥福を祈りつつ。
by びっけ (2007-08-02 06:46) 

おきざりスゥ。

ゆうべ映画の帰りに寄った呑み屋にはカラオケはなかったけれど
ビル地下の廊下を歩く間となりの店から聞こえてきたのは<勝手にしやがれ>
歌っていたオジサン(←たぶん)は訃報を知っていたのかいないのか。
どちらにしても同じ事な気がします。
死去の知らせを知って歌わずにいられなかった人は今までも愛唱してきた人
これからも歌い続けてゆく人なのでしょうから。

氏は「昔の歌はドラマ。今の歌はメッセージ」と語っていたそうです。
限られた短い歌詞の、行間を聴かせる作家でした。
当節のラップが苦手なのはきっと阿久悠や松本隆なかにし礼の歌詞で育ったから。
歌謡曲の歌詞という限定の中で
どれだけの事を伝えられるかに費やされた苦労は如何ほどでしょう。
でもテリー伊藤が「阿久悠の詞を読めば日本人の事が皆わかる」と云っていたように
和歌・短歌・俳句・川柳という文化を持つ日本人には短い詩で心を伝える形が性に合っているのかも知れません。
Jpopがラップという形式を得て幾らでも言葉数を増せる様になったのに
ビッシリと歌詞を敷き詰めるほど空虚に感じられて仕方がないのです。
理詰めの演説や討論が文化の国から来た音楽は良し悪しでなく肌合いが違います。
3分の曲をギッシリ言葉で埋め尽くしたら3分ぶんの想いしか伝わらない。
聴くものの想像に委ねられた余白や行間は無限の想いへと増幅してゆける。
そう考えてしまう。
阿久悠の歌詞から各々のドラマを紡いでいたかもしれない同時代人は
それでも同じ歌をこれからも口遊んでゆくのでしょう。
同じで違う、違っていて同じ歌。その揺らぎは素敵です。
                             今日は家事しながら歌っちゃうなー。
by おきざりスゥ。 (2007-08-02 12:11) 

miyuco

びっけさんと私の10代はイコール1970年代で
それはすなわち阿久悠と歌謡曲の全盛期でした。
当時はそんなこと考えもしなかったけど
阿久悠の歌詞が自然なかたちで流れていた時代を
体感できたのはラッキーだったかもしれないと
今になって思ったりします。
あのクオリティーであれだけたくさんの歌詞を書く
しかもバラエティーに富んでいるんですから
人間業とは思えません。
振り返ってみてつくづくその偉大さが実感できます。
「デビルマン」も「ウルトラマンタロウ」も彼ですからね[目玉]
nice!とコメントありがとうございました。
by miyuco (2007-08-02 13:14) 

miyuco

スゥ。さんのおっしゃるとおりです。
阿久悠の歌詞からイメージする世界は
受け取る側の解釈によって違ってくるし
年齢を重ねるとまた違う情景が現れたりします。
「言葉」の持つ無限の力を感じます。
歌手をアーチストなんて言うと嘲笑されるような
たかが歌謡曲、消耗品だと思われていた時代に
揺らがず真摯に向きあった人でした。

10代の頃を一緒に過ごした阿久悠の歌詞は
細胞の中に織り込まれているような気がします。
「ありがとうございました」と心から言いたいです。
nice!とコメントありがとうございました。
by miyuco (2007-08-02 13:29) 

ミック

昭和をかっこ悪いと思って過ごしていた若い頃。
昭和を生きて良かったと、思うこの頃。
氏の訃報にはびっくりしました。
これからも昭和の歌は歌謡曲という分野で確立されて、
人々を癒してくれると思います。
追悼の意を込めて、阿久悠氏の世界感を熱唱したい気分です。
by ミック (2007-08-02 23:01) 

miyuco

>ミックさん
「昭和」は泥臭く混沌としていて
洗練とはほど遠い世界のような気がします。
だからこそ熱い時代だったんだなと思うようになったのは
やっぱり私も最近のことです。
今夜NHKで阿久悠の特集があるようですよ[テレビ]
nice!とコメントありがとうございました。
by miyuco (2007-08-03 16:21) 

らんちゃん

まだ70歳だったなんて、僕もびっくりしました。昨夜NHKの追悼番組を見ました。ぁ、この曲も、あの歌も・・って。その時に聞いているときは、正直作詞や作曲は・・なんて思ったりしませんでしたが、なんと5,000曲だなんて、2度びっくりですね。今の歌ははっきり言って自分が楽しんでいるので、言葉の意味もよく分からないのが多いだけに、改めて阿久悠さんの詩をしみじみと聴き入ってしまいました。永遠に歌い継がれていくことでしょう。合掌。
by らんちゃん (2007-08-04 12:13) 

miyuco

>らんちゃんさん
阿久悠が70歳で美空ひばりと同い年と聞いて驚きました。
最近では時代と自分との距離を嘆いているところが
あったように思えますが
彼の歌詞は時代を超えてこんなに愛されていると
もっともっと本人に実感していただきたかったです。
コメントありがとうございました。
by miyuco (2007-08-04 22:01) 

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