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阿木燿子×山口百恵 [music]

何億光年 輝く星にも 寿命があると
教えてくれたのは あなたでした
季節ごとに咲く 一輪の花に 無限の命
知らせてくれたのも あなたでした

旭化成のCM【水の星篇】に流れるこの曲
「さよならの向こう側」
山口百恵の現役最後のシングルでした。
UAかなと思ったハスキーな声の持ち主は
TeN (A Hundred Birds)とクレジットされてるようです。

http://www.asahi-kasei.co.jp/asahi/jp/sports/cm/win/cm_mizunohoshi.html

きれいな曲。
歌い手がちがうと印象が変わりますね。
それでもこの曲のちからは変わらない。

阿久悠追悼番組を見終わって「僕らの音楽」を見ていたら
総集編でミスチル桜井さんと阿木燿子が対談していた。

阿木燿子は歌詞の物語にオチをつける。
例えばふたりは別れたのかやり直したのか
幸福な二人でいるのか
「しるし」を聴いたとき阿木さんは「んっ?」と思ったそうです。
「あれっ?どうなったのかな?」

桜井さんの答え
曲が大好きだったのでもうこれは物語はどうでもよくて
想いだけが中心にある詩にしようと思った
別れとも恋愛真っ最中ともとれるようにつくってある

確かに「しるし」はそうですね。
言葉からのイメージが混沌としている。
桜井さんはつくった本人がそれを唄うことで
聞き手をねじふせる。

阿木燿子の歌詞はそういえばそうでした
「あなたのもとへプレイバック」
「そのひとの涙の深さに負けたの」

山口百恵が引退したときは正直ホッとしたと
言っていたような記憶がある。
作り手と唄い手の激しい精神的バトルは
こちら側にも伝わってきていました。

山口百恵は女優としての評価が高く
本人も映画の現場が何より楽しい
と言っていた時期があったようですが
(そこに必ず三浦友和がいたせいもあったのかな^^;)
引退する前の何年かは歌手として全うしたいと
重心を移していました。

表現者として阿木燿子の歌詞のなかで
あれほど輝いていたのだから
彼女は自分の目指すところを冷静に見極めていた。
女優、歌手の枠を超えた表現者でした。

ライブ会場で唄うと「ももっえちゃぁぁん」と
親衛隊の(だみ声)コールがかかるわけですが
その時山口百恵はステージのうえで

ジプシー ジプシー 踊り疲れたらどうなるの
ジプシー ジプシー 風の花で舞うだけね

大人のおんなの顔で深遠なる哲学を唄うのであった
コール(する男子)と彼女のパフォーマンスとの落差がおかしくて
つい笑ってしまうのでした。
「乙女座宮」「夢先案内人」だったら問題ないんだけど^^

「秋桜」(さだまさし作詞作曲)
「愛染橋」(えっ!作詞・松本隆だったの?)
別に山口百恵が唄わなくってもいいんじゃないと思ってた。
「いい日旅立ち」は歓送迎会のときに
みんなが一緒に唄ってくれるのでとても重宝しておりました。

「謝肉祭」の歌詞に出てくる「ジプシー」が
差別用語に該当するのではないかとレコード会社が
自粛したため一時期は封印されていたことを知りました。
今は解禁されたようです。
自主規制、恐るべし。

 

 

ほんとうに綺麗

 
コンプリート百恵回帰

コンプリート百恵回帰

  • アーティスト: 山口百恵
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2005/05/25
  • メディア: CD

 


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コメント 10

おきざりスゥ。

>自主規制、恐るべし。

<謝肉祭>はメリメ&ビゼーの<カルメン>を忠実に女主人公の視点から描いた作品
とは私見ですが<カルメン>の内容を御存知の方ならば否やはないはず。

“あなたに放った真っ赤な薔薇”
“タロット占い別離のカード 2人の明日が見えそうね”
“ひとよりたくさん浮名を流し ひとよりたくさん血を流す”
“ひとりぼっちで果てるだけ”
オペラの道具立ては出揃っています。

クラシックに興味はなくとも<カルメン>の<闘牛士の歌>と<ハバネラ_恋は野の鳥>は誰でも聞き覚えのある曲でしょう。
原語の仏語を訳したものは幾種類かあるけれど今でも多く採られる堀内敬三の歌詞から抜けば
 
   恋はジプシーの子よ
   法も理屈もなしよ
   すげなくする人に
   あたしは焦がれる
   でもあたしに思い込まれたらば
   ご用心
   ご用心しなさいよ

となってジプシーという語は効果的に使われています。
オペラの舞台では自主規制などしている様子もありません。
(希代の名歌手マリア・カラスがカルメンを演じて
「カルメンは不道徳ではなく無道徳だった。ジプシ-に道徳など初めから無いのよ!」
なぞとノタマッタりするもので差別的と云われれば反論は難しいのですが…)

アメリカ大陸をインドと思い違いしたコロンブスによって長らくインディアンと呼称されてきたアメリカ先住民達が今はネイティヴアメリカンと呼ばれるように
いわゆるジプシーは現在“ロマ”と呼ぶそうです。
(語源はローマ出身の、ということらしいけど実は由来について誤解がある模様。
でも彼らの自称なので…)

芸術作品の登場人物としてのカルメンはファムファタールの代表で決して差別的な意味合いでは語られていません。
ホセに恋を仕掛けたのだって騙したのではなかったし刃物を突きつけられても命惜しさに嘘を吐いたりしません。
「あんたと縒りを戻すくらいなら死んだ方がマシ」

でも現実に芝居やオペラで女優が演じるカルメンはいつだって物足りないのです。
薔薇を1本投げただけで1人の男の人生を狂わせるような妖女。
自由の為なら平然と死んでゆく誇り高い美女。
脳内キャラクターとしてのカルメンが艶やかすぎて歌唱・演技・美貌と3拍子揃ってすら(まずソノの段階が無理なんだけど)生身の人間ではありえないわけで。
(伝説のヴァンプ女優リタ・ヘイワースも演ってますが…金髪のカルメンはナシでしょう)

そこで<謝肉祭>
山口百恵の容貌は決してカルメンではなかったけれど
“女優、歌手の枠を超えた表現者”である山口百恵の<謝肉祭>こそ誰も為し得なかった究極のカルメンであったと今でも思い出すのです。
                    なんでスゥ。って簡潔な文章が書けないのかなぁ[汗汗]
by おきざりスゥ。 (2007-08-07 20:55) 

deacon_blue

☆ こんばんは。おそらく中森明菜が「ミ・アモーレ」や「ジプシー・クイーン」をレコーディングした時に「謝肉祭」のイメージを頭に描きながら「私ならこう歌う」というイメージで歌ったものと思われます。だからあの辺の作品は良い。ではでは(^o^)/~~~。
by deacon_blue (2007-08-07 20:58) 

snorita

そうだったのか、そりゃあ百恵と阿木耀子じゃ、怖いだろうなあ・・・。
by snorita (2007-08-08 07:56) 

miyuco

>スゥ。さん
山口百恵も映像がないと伝えきれないところがあります。
唄うときの目線、手の振り、ポーズの決め方
計算され尽くされてたし美しかった。
カルメン、「菩薩である」と言った人もいましたね。
あの本はおもしろかった。
nice!とコメントありがとうございました。
by miyuco (2007-08-08 22:18) 

miyuco

>deacon_blueさん
中森明菜は山口百恵の「亜流」で終わるのかなと
思っていたら、そうはなりませんでした。
でもあのリスペクトぶりは半端じゃなかったな。
nice!とコメントありがとうございました。
by miyuco (2007-08-08 22:22) 

miyuco

>snorita さん
山口百恵の命運を握っている感があったので
阿木燿子はかなりのプレッシャーを感じていたようです。
この二人、よく出会ったなあと思ったりします。
コメントありがとうございました。
by miyuco (2007-08-08 22:26) 

ミック

阿久悠追悼番組も見ました。
すごく、良かったですよね。
「僕らの音楽」でのミスチル桜井と阿木燿子の対談は総集編でない時に見ました。
阿木耀子は桜井の詩について、いろいろ不思議だと言っていましたが、今回のミスチルのアルバム全体を通して聴くと、そう不思議ではないのではなかった様な気もしました。桜井の詩は詩というよりは会話と言ってもおかしくない感じがします。自然な感じです。桜井だけではないのかもしれないですけど・・・・・^^
旭化成のCM見ました。
山口百恵&阿木耀子、恐るべしデス^^V
by ミック (2007-08-18 00:35) 

miyuco

>ミックさん
桜井さんはきちんと結末を暗示することも多いです。
でもやっぱり感情のかけらをぶつけるような歌詞は
整っているとはいえなくて、
そこが魅力でもあると私は思ってます。
言葉の粒から感情が沸き立ってくるというか…
阿木燿子の歌詞はきっぱりしてますよね。
それはまたとても魅力的で大好きです。
nice!とコメントありがとうございました。
by miyuco (2007-08-18 10:10) 

流星☆彡

同世代ですネ~♪(*^m^*)
今でも あの頃の百恵ちゃんの歌う姿&歌を聴くと、色褪せないカッコ良さに 感嘆してしまいますよね!
最近の歌詞って、“傷ついても あきらめるな!”とか“悩みを乗り越えろ!”とか 精神論ばかりが先立ち、情景=その時の景色が描かれてないものが多いように感じて…。
想いを語る“目に映る世界”が なおざりにされている気がしてなりません。
その点、阿木さんの詞は 語る景色が情景豊かで 魅せられますよね。
そして、出逢いの奇跡によって紡ぎ出される世界☆
この二人には 特に運命的なものを感じます♪
昨今は、Artistが全て自分一人の世界観でProduceする楽曲が多いですけど、この時代は 天才と天才が出逢って練り上げる…ってな創造のプロセスが多かったですよね。
そんな時代が残した偉大な結晶として、阿木燿子×山口百恵の作品群を 語り継いでいきたいです。我ら世代で!v(^^ゞ
by 流星☆彡 (2007-08-21 22:47) 

miyuco

>流星☆彡さん
百恵ちゃんの唄う阿木燿子の曲は
ホントにいまでもかっこいいですよね。
確かに情景描写が印象に残ります。
「緑の中を駆け抜ける真っ赤なポルシェ」
「流れる雲さえ季節の色だと」
忘れられないです^^
nice!とコメントありがとうございました。
by miyuco (2007-08-22 19:06) 

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