『仏果を得ず』 三浦しをん [読書]
「文楽」という伝統芸能の世界の物語と
聞くと敷居が高いような気がして
なかなか手が出ませんでした。
気むずかしそうなタイトルだし…
でもこの装画を見たらなんだか楽しそうです。
いいイラストですね。
読み始めたらとてもおもしろかった!
爽快でした。
愛すべき登場人物たちが最高です。
たくさんのエピソードが詰め込まれているのに
ちっとも慌ただしいと感じない。
駆け足だとも思わない。
勘どころをおさえた語り口が小気味いいです。
登場人物たちがいかに文楽を愛しているのか
よく伝わってきますが
何よりも作者の文楽への愛情の深さを感じます。
いい本でした!
「文楽」とは大夫、三味線、人形遣いで成り立つ
人形浄瑠璃のこと。
義太夫(浄瑠璃語り)を修行中の健(たける)が主人公。
人間国宝の師匠や変わり者の三味線弾きに鍛えられながら芸を磨く。
芸に恋に悩みながら健は成長していく。
双葉社HP(立ち読みもできます)
健の師匠は人間国宝の笹本銀大夫。
師匠から三味線の兎一郎とコンビを組むように言われる。
「実力はあるが変人」という評判の兎一郎。
(プリンが大好きらしい^^)
大夫と三味線は夫婦みたいなもの。
決まった相手とじっくり芸に取り組むことによって上達する。
その相手が「周囲を翻弄するキャラクター」の持ち主とは。
健は気がすすまない。
兎一郎も特定の大夫と組むつもりはない様子。
しかし三味線と大夫の人間国宝がそろって決めたことに
逆らうことなどできない。
さてこの二人、どうなることでしょうか。
「大夫あっての三味線、三味線あっての大夫や。
だれとも深くつながらんで、芸の真髄に迫れると思うな!」
師匠・銀大夫の言葉が印象に残ります。
師匠・銀大夫。
80歳にしてお茶目な人間国宝。
大好きです!
変わり者かもしれないけれど兎一郎は嫌なヤツではない。
早い段階でそれが分かるので安心して読み進めます。
演目を与えられるたびに健は自分なりの解釈を深めようと
悩み苦しむ。兎一郎は一歩引きながらフォローする。
実生活でのエピソードを絡めながら
解釈への糸口を丁寧に描いていきます。
うまいです。
「もし文楽の神さまがいるのなら
俺を長生きさせてくれ。
もらった時間のすべてを、義太夫に捧げると誓うから。」
「すべてを捧げても惜しくない」
と言い切る健の心意気が爽快です。
健のプライベートもおもしろい。
健は小学生へ義太夫を教えるボランティアに行っている。
そこで知り合った3年生のミラちゃんの母と
まあそういう関係になり、あろう事か三角関係までが発生^^;
修行に身が入らなくなるほど煩悩の虜となってしまうのでした。
この親子は強烈なキャラで素敵です。
「忠臣蔵」の重要なシーンに抜擢されたが
稽古はなかなかはかどらない。
そこで「勘平腹切」を得意とする砂大夫に
稽古をつけて貰うようにと師匠に命じられる。
しかし砂大夫は師匠・銀大夫のライバル。
そして志半ばでこの世を去った大夫をめぐる
苦いいきさつが兎一郎との間にあった。
クドカン脚本で落語がモチーフだったドラマ
「タイガー&ドラゴン」を連想しました。
このドラマを好きだった人は「仏果を得ず」も
好きだと思う。
伝統芸能の文楽は世襲制だと思っていた。
「研修所」があるんですね。
実力と才能だけが物を言う世界ではあるが
「文楽の家の子」と研修所出身ではスタートから違う
という考え方が拭えないのも仕方ないこと。
その辺りも上手に描かれています。
「仏果」とは仏道修行の末に得られる成仏という結果。
「仮名手本忠臣蔵」で勘平が最期の力を振り絞って絶叫する。
仏果などいるものか。成仏なんか絶対にしない。
生きて生きて生きて生き抜く。
勘平を語りながら健もそこに己を重ねる
生き抜いて文楽にすべてを捧げると。
健は高校での修学旅行先が関西で、
国立文楽劇場での文楽鑑賞が組み込まれていた。
居眠りをしていた健は銀大夫とのにらみあいに負け
その義太夫に心奪われて研修生になりました。
私も高校生のときに文楽鑑賞教室がありました。
国立劇場だったのかな。
人形の仕草が醸し出す色気に圧倒されました。
細かい動きが絶妙で生身の人間ではだせない
あでやかさに目を奪われたのを覚えています。
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