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“心の宝物はなにもだれも奪えない” ヴィクトール・フランクル [読書]

「あなたが経験したことは、
この世のどんな力も奪えない」
わたしたちが過去の充実した生活のなか、
豊かな経験のなかで実現し、
心の宝物としていることは、
なにもだれも奪えないのだ。
(『夜と霧』池田香代子訳)

先日、新聞でこの言葉を読んだとき、
私のなかで何かが呼応しました。
「知っている」という感覚。
心の奥底で根を張っているものを再確認したような。
それはたぶん、十代の頃に読んだ本や
少女マンガの作者を通して
私のなかに流れ込んできたもの。
受け取ったものは深いところにとどまり
そのまま私の根っこになったのだと思う。
暗闇のなかにいるような心細さに
押し潰されそうになっていた若い頃の私を
救ってくれたもののひとつだと思う。

朝日新聞夕刊の「ニッポン人脈記【生きること】」に
フランクルのことが載っていました。

《ヴィクトール・フランクル》
第二次世界大戦中、ユダヤ人であるが為に
ナチスによって強制収容所に送られた。
この体験をもとに著した『夜と霧』は、
日本語を含め17カ国語に翻訳され、
60年以上に渡って読み継がれている。
Wikipediaより)


本の題名につけた『それでも人生にイエスと言う』
これはドイツのブーヘンバルト強制収容所で
1938年3月に囚人がつくった歌からとったそうです。

「それでも私たちは人生にイエスと言おう。
なぜなら、その日はいつかくるから。
そして私たちは自由になる」

以下、朝日新聞より引用
「フランクルは、強制収容所で、
期限がわからないことにみな苦しんだと書いている。
だからこそ生きる意味に目を向けるように語りかけた。
人には決して奪われぬものがある、と。
一つは、運命に対する態度を決める自由。
もう一つは、過去からの光だ。」

《運命に対する態度を決める自由》
「あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、
それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、
自分のあり方を決める自由である。」
(夜と霧)

「人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある
この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、
苦と死をもふくむのだ。」

「どんな時にも人生には意味がある」
これも大好きだった少女マンガや本や映画などから
くり返し受け取ったメッセージです。

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NHKの番組「爆笑問題のニッポンの教養」に
目が見えず耳も聞こえない東大教授の福島智さんが
ゲストの回がありました。

絶望=苦悩-意味
絶望+意味=苦悩

意味がない苦悩が絶望である。
苦悩と絶望は違う。

すごいしんどい経験をした時に、
つらさ、苦悩というのも何か意味があると思うことにした。
そんなときにヴィクトール・フランクルの本を読んでいて、
出会った公式だそうです。

この公式を導きだすまでにどれほどの苦悩があったのだろう。

インパクトのある心に突き刺さってくるような内容でした。
こちらのNHKのサイトに少し載っています。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20090609.html


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