筒美京平さん死去 [music]
筒美京平さんがお亡くなりになりました。
1970年代に10代を過ごしていた私は
歌番組から流れてくる曲のクレジット
「作曲・筒美京平」に圧倒されていた。
これみんな同じ人が作ってるの?
当時のアイドルたちは三か月ごとに
シングルをリリースしなければならないという
今では考えられない状況でした。
次から次へとデビューするアイドルたちの
次から次へとリリースする曲には
「作曲・筒美京平」
バリエーション豊かできらきらしている曲の数々。
本当に楽しませていただきました。
ありがとうございます。
ご冥福をお祈り申し上げます。
NOKKOのコメント
「筒美京平さんの突然の訃報に愕然としています」とつづり
「つい2日程前に筒美さんの事を思い出していました。
『人魚』を作曲していただいた時、
ホテルのロビーで打ち合わせした際に
『もっとどんどん曲を頼んで欲しい、
プレッシャーの中で名曲は生まれるんだ。』
とおっしゃっていたことです」と回想した。
REBECCA解散後のNOKKOが
筒美京平さんに曲をお願いしたいと
希望して実現した楽曲「人魚」
1994年頃のヒットチャートに
筒美京平の名前が載ってくることはなかった。
NOKKOのオファーは嬉しかったでしょうね。
NOKKOの声質音域の魅力を
最大限に引き出した美しい曲。
「人魚」大好きです
抒情的に歌い上げるNOKKOの歌唱が素晴らしい。
「綺麗ア・ラ・モード」(2008年10月リリース)
中川翔子も筒美京平さんの曲を熱望して
実現して嬉しかったと言っていました。
「作詞・松本隆 作曲・筒美京平」
シングルリリースはこの曲が最後だそうです。
かわいらしいアイドルソング。
岩崎宏美「ロマンス」
阿久悠の歌詞を含めて名曲だと思う。
「あなたお願いよ席を立たないで」
リフレインの「席を立ぁたなあいで~」
の切なさが大好きです。
(岩崎宏美のアドリブだったと後日インタビューで知りました。
筒美先生がそのTAKEを使ってくださったそうです)
曲先でこの歌詞をつける阿久悠の凄さ。
松本隆は詞先だったそうですね。
「晩年の筒美先生はいい詞が欲しいとおっしゃっていた」
と追悼番組で松尾潔が言ってました。
職業作曲家と職業作詞家が
プロの仕事をこなす時代は終わってしまいました。
そんな時代があったから
今の豊かな音楽シーンが出来上がったことを
私たちの世代は身をもって知っています。
今をときめく宮本浩次が
若い人が知らない歌謡曲を歌うことで
いろいろな人がその魅力を再発見してくれるのが嬉しいです。
「木綿のハンカチーフ」
耳に馴染んだ原曲を残しつつ
上手にアレンジした小林武史の
職人技は相変わらずすごいです。
なんてことを書いているとキリがないので
やめておきます。
1970年代に10代を過ごしていた私は
歌番組から流れてくる曲のクレジット
「作曲・筒美京平」に圧倒されていた。
これみんな同じ人が作ってるの?
当時のアイドルたちは三か月ごとに
シングルをリリースしなければならないという
今では考えられない状況でした。
次から次へとデビューするアイドルたちの
次から次へとリリースする曲には
「作曲・筒美京平」
バリエーション豊かできらきらしている曲の数々。
本当に楽しませていただきました。
ありがとうございます。
ご冥福をお祈り申し上げます。
NOKKOのコメント
「筒美京平さんの突然の訃報に愕然としています」とつづり
「つい2日程前に筒美さんの事を思い出していました。
『人魚』を作曲していただいた時、
ホテルのロビーで打ち合わせした際に
『もっとどんどん曲を頼んで欲しい、
プレッシャーの中で名曲は生まれるんだ。』
とおっしゃっていたことです」と回想した。
REBECCA解散後のNOKKOが
筒美京平さんに曲をお願いしたいと
希望して実現した楽曲「人魚」
1994年頃のヒットチャートに
筒美京平の名前が載ってくることはなかった。
NOKKOのオファーは嬉しかったでしょうね。
NOKKOの声質音域の魅力を
最大限に引き出した美しい曲。
「人魚」大好きです
抒情的に歌い上げるNOKKOの歌唱が素晴らしい。
「綺麗ア・ラ・モード」(2008年10月リリース)
中川翔子も筒美京平さんの曲を熱望して
実現して嬉しかったと言っていました。
「作詞・松本隆 作曲・筒美京平」
シングルリリースはこの曲が最後だそうです。
かわいらしいアイドルソング。
岩崎宏美「ロマンス」
阿久悠の歌詞を含めて名曲だと思う。
「あなたお願いよ席を立たないで」
リフレインの「席を立ぁたなあいで~」
の切なさが大好きです。
(岩崎宏美のアドリブだったと後日インタビューで知りました。
筒美先生がそのTAKEを使ってくださったそうです)
曲先でこの歌詞をつける阿久悠の凄さ。
松本隆は詞先だったそうですね。
「晩年の筒美先生はいい詞が欲しいとおっしゃっていた」
と追悼番組で松尾潔が言ってました。
職業作曲家と職業作詞家が
プロの仕事をこなす時代は終わってしまいました。
そんな時代があったから
今の豊かな音楽シーンが出来上がったことを
私たちの世代は身をもって知っています。
今をときめく宮本浩次が
若い人が知らない歌謡曲を歌うことで
いろいろな人がその魅力を再発見してくれるのが嬉しいです。
「木綿のハンカチーフ」
耳に馴染んだ原曲を残しつつ
上手にアレンジした小林武史の
職人技は相変わらずすごいです。
なんてことを書いているとキリがないので
やめておきます。
「また逢う日まで」「魅せられて」など
名曲を数多く生んだ作曲家筒美京平(つつみ・きょうへい)さんが
10月7日午後3時ごろ、
誤嚥(ごえん)性肺炎のため都内の自宅で死去した。
80歳。
総作曲数3000弱。
作曲シングル総売り上げは
歴代1位の7560・2万枚(オリコン調べ)に達し、
昭和歌謡曲黄金期を支えた名コンポーザーが逝った。
名曲を数多く生んだ作曲家筒美京平(つつみ・きょうへい)さんが
10月7日午後3時ごろ、
誤嚥(ごえん)性肺炎のため都内の自宅で死去した。
80歳。
総作曲数3000弱。
作曲シングル総売り上げは
歴代1位の7560・2万枚(オリコン調べ)に達し、
昭和歌謡曲黄金期を支えた名コンポーザーが逝った。
筒美さんはレコード会社勤務を経て、
66年に藤浩一(子門真人)の「黄色いレモン」で作曲家デビュー。
67年にヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」のヒットをきっかけに、
尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、
南沙織「17才」(ともに71年)などを次々と生み出し、
さらに作詞家松本隆氏(71)とのコンビで、
太田裕美「木綿のハンカチーフ」(75年)
近藤真彦「スニーカーぶる~す」(80年)など
ヒット曲を量産。
グループサウンズやアイドルから「サザエさん」などの
アニメソングまで幅広く手掛けた。
洋楽がベースの洗練されたメロディーは
1970、80年代のヒットチャートを席巻して時代を彩り、
作曲数は3000曲弱に及んだ。
日刊スポーツの記事より引用
66年に藤浩一(子門真人)の「黄色いレモン」で作曲家デビュー。
67年にヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」のヒットをきっかけに、
尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、
南沙織「17才」(ともに71年)などを次々と生み出し、
さらに作詞家松本隆氏(71)とのコンビで、
太田裕美「木綿のハンカチーフ」(75年)
近藤真彦「スニーカーぶる~す」(80年)など
ヒット曲を量産。
グループサウンズやアイドルから「サザエさん」などの
アニメソングまで幅広く手掛けた。
洋楽がベースの洗練されたメロディーは
1970、80年代のヒットチャートを席巻して時代を彩り、
作曲数は3000曲弱に及んだ。
日刊スポーツの記事より引用
NOKKO「人魚」