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靖国神社 覚え書き [雑記]

靖国神社は私にとっては身近な存在です。靖国神社のこんぺいとうを知っているひとは少ないのではないでしょうか。父が春秋例大祭に参拝するたびにいただいてくるので、よく食べていました。
私の父は昭和4年生まれ。父の兄は戦争で亡くなっているので、靖国神社に祀られています。
父は靖国神社に兄が祀られていることをとても誇りに思っています。

A級戦犯合祀が明らかになったのは、前年の合祀を1979年に報道したときからです。かなり大きな扱いだったことを覚えています。いろいろないきさつがあったような気がしますけれど、記憶はあいまいです。1985年の中曽根首相の公式参拝以降、外交問題となってきました。

朝日新聞10/18付け朝刊に首相の靖国神社参拝についてのインタビューがのっています。3人の方の発言ですが、何が問題点になっているのか、わかってきました。私としては、宮崎哲弥氏の「戦後、一宗教法人に過ぎない存在となった靖国神社に、国家的な慰霊・追悼の機能を持たせようとしたことによって生じた矛盾をどう解決し、どのような形で国家的追悼を行うか。これは、改憲が現実的な課題となっている現在、早急に整理しておかねばならない問題だ」という発言が戦慄でした。改憲→戦死者→国家的追悼 今まであまり考えたことのない強いイメージに愕然としました・・・


靖国神社崇敬者総代、京都産業大教授の所功氏のコメント抜粋。『公的献身への誠意、当然』
「戦後の被占領下から1975年まで、昭和天皇・香淳皇后をはじめ各皇族方も歴代の内閣総理大臣も衆参両議院議長も最高裁長官たちも、ほとんど春秋の例大祭に際して参拝されることが、自然に行われていた」


側近によれば昭和天皇はA級戦犯合祀に反対だったとされ、天皇親拝は1975年11月21日、終戦30周年が最後となっている。それ以降、春秋の例大祭などにおいては勅使が遣わされている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和天皇の同意が得られなくても合祀したいという強い意志があったようですね。

 宮崎哲弥氏のコメント『本質論避け場当たり的』以下抜粋です。
「靖国神社は伝統的な神道に基づく「宗教性」と、近代国家の原則に基づく「公共性」という、相反する二つの原理を持っている。私の見るところでは、小泉首相は公共性に重きを置いている。しかしながら靖国神社はあくまで宗教性を手放そうとはしない。そこに矛盾がある。
戦後、一宗教法人に過ぎない存在となった靖国神社に、国家的な慰霊・追悼の機能を持たせようとしたことによって生じた矛盾をどう解決し、どのような形で国家的追悼を行うか。これは、改憲が現実的な課題となっている現在、早急に整理しておかねばならない問題だ。」

高橋哲哉氏のコメント『政教分離原則緩めるな』以下、抜粋です。
「他国の批判をはねつけて参拝する姿勢に溜飲を下げる思いを抱く人が増えている面はある。首相はその感情を利用してもいる。
この流れは危険だ。ナショナリズムを刺激しあい、互いのナショナリズムをせり上げていく循環が生まれるからだ。「参拝をやめれば相手国に屈したことになる」という感じ方が強まれば身動きは取れなくなり、より深刻な事態になる。

朝日新聞一面、本田優編集委員の記事。
「首相の参拝が、かつての戦争を美化する、いわゆる靖国史観からの参拝でないことは確かだ。日本の国連安保理の常任理事国入りを頭から押さえようとする中国への反発が、日中関係から歴史カードを抜き去りたいと、首相を余計に力ませている面もあるだろう。だが、そんな首相個人の思いとはかけ離れて、首相の靖国神社参拝は、東アジアを不信と緊張の「負の螺旋」に陥れかねない。
この地域が地殻変動に伴うナショナリズムの時代を迎えているからだ」
「日本はこの地域で圧倒的な経済力を誇ってきた。だが、いまは政治、経済両面で台頭した中国が日本の地位を脅かしている。韓国も日米韓の枠組みにとらわれず、日中をにらみながら国益を探り始めている。
国家間の地位の変動や逆転は、ナショナリズムのうねりを起こしやすい」

韓国での竹島(独島)問題、中国の反日デモ、日本での首相の靖国神社参拝支持「外国にいわれてやめるのはおかしい」という意見。
「この一連の「負の螺旋」を止めなければならない。その知恵を出すのは日本だ」

靖国神社参拝問題の背景は複雑です。まだまだ咀嚼できそうもありません。
(次に載せた記事「'05.7.13.朝日新聞 後藤田正晴さんに聞く」でのインタビューで少し整理された気がします)

やすくにQ&Aより
抜粋)大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます。さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”とせられ、無惨にも生命をたたれた1068人の方々…靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています。

「形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”とせられ・・・」
これが靖国史観というものですか。


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