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ヒットメーカー阿久悠物語 [TV]

車で移動中ラジオから「ひまわり娘」が流れてきた。
夫婦で「なにこれー」「違うよねー」とブーイング
伊藤咲子の唄うオリジナルははつらつと弾けるようで
ひまわりのイメージそのものの愛らしい曲だった。
それが何故こんな風にどよ~んとしたものになっちゃったの?
誰がカバーしているのかと思ったら…
杏里でしたか…

伊藤咲子は「スター誕生!」出身
黄色いミニワンピでキュートな笑顔を振りまきながら
「ひまわり娘」を唄っていました。

阿久悠の1周忌にあたる8月1日
「ヒットメーカー阿久悠物語」が日本テレビで放送された。
「スター誕生!」というTV番組がメインの物語でもありました。

昭和46年放送開始のこのオーディション番組を
初期の頃からずっと見ていた。
ドラマのエピソードはほとんど知っていたので
当時の雰囲気をトレースしている気分で楽しかったです。

審査員のコメントは辛辣だった。
眼光するどく鬼瓦みたいな顔の阿久悠が
厳しいことを言うと見ているこちらもドキドキした。
都倉俊一は甘く貴公子然とした風貌で
きつい事を平然と述べてそれがまたかっこよかったです。
演じた内田朝陽が魅力的でした。

どうしようもない出場者ばかりでこれはムリだろうと
見ていてがっかりなときもありました^^;

音声しか残っていないからでしょう
実際の音声に役者さんがあわせて再現してました。
違和感は残りながらも当時の雰囲気を感じることができて
おもしろかった。

沢田研二がスルーされていて残念。
過去映像が使えなかったのか
「スター誕生!」には関係ないからなのか。
でも、阿久悠の物語ならば不可欠なはずなのに。

スタ誕を見ていたのはいつ頃までだったのかな。
萩本欽一が司会を退いてからはもう見ていなかった。
小泉今日子、中森明菜のデビューはその後でした。

「花の中三トリオ」より二つ年下だったので
彼女たちをリアルタイムで見ていた世代です。
森昌子は演歌だとかわいくなくてもいいんだ
などと失礼にも思っていただけで興味なかった。
桜田淳子は華やかでした。
歌番組に出ているときは特別に美形だとは思わないのに
ドラマで演技をしていると
人目を惹く綺麗な人なのだとわかります。
最近BSで「病院坂の首縊りの家」を観て再認識。
市川崑監督の撮り方のうまさもあるのでしょうが
本当に美しかった。
女優としてもっと花開いたかもしれないのに
あんなふうな形で引退をしてしまって残念です。
もったいない。

山口百恵を見た阿久悠が
「君は映画に出るとしたら
主人公の妹役が似合うんじゃないかな
主人公に必要な何かが欠けているのかもしれない」
と審査員席から発言する場面があった。
この一言が禍根を残し
阿久悠では彼女の魅力をひきだせないと
山口百恵のスタッフが判断したのか
作詞を依頼されたことはなかったようです。
ライバル(桜田淳子)陣営についている作詞家なのだから
あてにしないのが当然もしれないけれど。

山口百恵は自分の意志で宇崎・阿木コンビにオファーを出し
鮮やかに類いまれな表現力をアピールする。
このセルフプロデュースは見事ですが
本人の意志を尊重しフォローしたスタッフもすごい。

山口百恵のエピソードが登場した時点で
阿久悠物語が山口百恵物語のようになってましたね。

ピンク・レディーで一番好きな曲は「渚のシンドバッド」
高校生の頃、体育の課題の創作ダンスを仕上げるために
放課後の教室に残ったのが
なぜか「渚のシンドバッド」の振り付け教室になってしまったり
みんなでよく踊っていました。
阿久・都倉プラス振り付けの土井甫が
ピンク・レディーを作り上げたのです。
阿久悠の追悼番組に土井さんが出ないのはおかしいと
思っていたら闘病中だったのですね。
まるで後を追うようにお亡くなりになりました。

作りこまれたユニットだなと思っていた。
意志を封じられた、というより自分の意志がないロボットのような
ピエロのような。
でもそれだけではないと徐々にわかってくる。
限界ギリギリのハードスケジュールだったのに
常に笑顔を絶やさないプロ意識の高さ。
不愉快な言動を見たことがありません。
いつも楽しそうに見えた。
「…べつに」と言いたくなるほど消耗していた時も
きっとあったはずなのに。
ケイちゃんは過酷な日々の
わずかなプレイベートな時間を
噂の彼(新御三家の方)との逢瀬に使っていて
それが支えだったと言っていた。
若さってすごい。そしてそのバイタリティーが
ピンク・レディのパワーの源だったのでしょう。


ピンク・レディーの人気の衰えは急激だった。
後楽園球場での解散コンサートは冷めた雰囲気で
絶頂期には考えられない寂しいものでかわいそうでした。

「今の歌には時代の景色がない
わたしとあなたがいるだけだ」
「歌が個人的なものになっている」
「時代を歌で捉えられなくなっている」

確かにそうかもしれない。
でも個人的なものが普遍的なものになっている歌詞が
確かに存在し、それもまた「この時代」ならではのもので
おもしろいなと私は思っている。

「僕は空中に散らばっている言葉をかき集めただけだ。
言葉は時代と共にある。
時代を喰ったんだ。
歌謡曲は時代を喰って妖怪になった。
おもしろかった。実におもしろかった。」

阿久悠さん、あの時代を生きた私たちも
同じように感じていました。
実におもしろかった!
そしてそれはあなたがいたからです。
本当にありがとうございました。


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コメント 5

ayaka

私もリアルタイムに「スタ誕」を見ていた世代なので懐かしかったです。
早くから洋楽に傾倒していたうちの夫は桜田淳子の♪ようこそここへ、
クッククック・・・を知らないと言うんですよ。
思わず振りつきで披露しちゃいました(笑)

当時、おっかない審査員の先生はものすごい大人だったけど、
先日のドラマでは遥かに年下の役者さん達が演じていて
自分の中の時間の流れもヒシヒシと感じました。

by ayaka (2008-08-09 09:55) 

miyuco

う~ん、♪わたしの青い鳥~ を知らないのか~
たぶんその頃は小学生ですよね。
「スタ誕」を見ていないのはわかります。
出場者も視聴者も女子が多かったもの。

審査員当時、阿久悠は三十代半ば
都倉俊一はまだ二十代だったことを考えると、
現在の同世代の人たちよりも
遙かに大人だったように思います。
怖かったけど子どもながらも真っ当な意見だなと
納得できるコメントでした。
それを受ける欽ちゃんの場の和ませ方も絶妙でしたよね。
nice!とコメントありがとうございます♪
by miyuco (2008-08-10 18:54) 

miyuco

薔薇少女さん、nice!ありがとうございます♪
by miyuco (2008-08-10 18:54) 

びっけ

こんにちは。
この番組は見逃してしまいました。(×_×;
でも、miyuco さんの記事を読んで、見た気分になっちゃった!
ありがとうございます。

スタ誕は、いつまで見ていたのかなぁ・・・。
紫の学生服の青年が出たあたりまで見ていたかな・・・。記憶曖昧。(笑)
百恵ちゃんの件とか、ケイちゃんの件とか、初めて知りました。
新御三家の彼って・・・N氏でしたっけ?
「渚のシンドバッド」を完璧に踊れるクラスメイトがいて、尊敬してました。

あぁ、昭和40年代、50年代、歌と共にある思い出がいっぱいです。
by びっけ (2008-08-12 22:42) 

miyuco

びっけさん、こんにちは。
「紫の学生服の青年」
♪しぃのぶぅぅぅぅあぁあぁめぇ
でしたよね^^
ドラマのなかで一瞬だけご本人の姿が出て
ああこの人インパクトがあったなと思い出しました。

ケイちゃんがN氏のことを話しているのは
「徹子の部屋」で聞いた覚えがあります。
びっけさんの思い出はかなりの部分で
私と重なるような気がします。
こういうドラマを見ているとどんどんいろいろな事を
思い出して止まらなくなりますよね^^
nice!とコメントありがとうございます♪



by miyuco (2008-08-13 22:27) 

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