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『小さいころに置いてきたもの』 黒柳徹子 [読書]

小さいころの家族の話、
今はこの世にいない懐かしい人との話、
ユニセフ親善大使として訪れた国の話などが
黒柳さん独特の語り口調を写しとったような文章で
綴られています。

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私には二歳違う弟がいた。いつも一緒にいたその弟は、小学校の低学年で死んだ。けれど私は、弟のことを全く何一つ憶えていないのだった――



 

「いつも一緒にいたじゃない?」
「いつも二人で笑ってたじゃない?」
母は私にいう。
もし憶えていたら、あの「窓ぎわのトットちゃん」に
いないはずはないのに。

でもどんなに思い出そうとしても
何も出てこないそうです。
あまりに悲しくて、そして弟が亡くなったあとの
戦争中ゆえの過酷な体験が
(父の出征、東京大空襲、疎開)
影響しているのかもしれない。
内戦の中で家族を失った子ども達が記憶を失い
自分の名前さえわからなくなっている事がある。
きっと子どもは、あまり悲しいことや辛いことがあると、
忘れることが出来るのかも知れない。
黒柳さんはつらい境遇の子どもたちの心に寄り添います。

…忘れなければつらすぎて悲しすぎて
生きていけなくなるから防衛本能が働くのかもしれない。
どうかそういう体験を子どもたちが背負わなくてすむように
健やかに過ごすことができる世界になりますようにと
私も願わずにはいられません。

森茉莉さんと一瞬で友達になった話。
中野翠編集の「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」を
読んだことがあります。
よくもこれだけ美しい言葉を連ねながら
圧倒的な悪口を書けるものだなと感心しながらも抱腹絶倒。
週刊新潮に1979年から1985年にかけて
連載されていたものなので
あの時代を知っている私には本当に面白かった。
誇り高く気むずかしいイメージがある森茉莉さんと
一瞬で友達になれる人は少なかったでしょうね。

私が黒柳徹子さんを大好きになったのは
「ザ・ベストテン」で毎週お見かけするようになってから。
若い歌手にも敬意をはらい、しかも無邪気に接する姿に
こういう大人がいるんだと嬉しいようなホッとするような
気持ちになったのを憶えています。
自由な精神を持っている稀有な方だと思います。

赤塚不二夫さんと親しかったことは知りませんでした。

しばらく前から意識がなく病室に横たわる赤塚さんに
黒柳さんが声をかけると表情に変化が出て
それが笑いジワのように見えたということです。
赤塚さんが若い頃、黒柳さんに憧れていたことを
奥さまは本人から聞いていたそうです。
あれは絶対笑っていますねと一緒に行ったタモリさんも
断言したほどの変化だったということです。
きっと黒柳さんの声が届いたのだと思います。

この本には出てこないのですが
渥美清とのエピソードを思い出しました。
体調が悪く無理をして撮影していた
「男はつらいよ」の現場を黒柳さんが訪れて
二人で楽しそうに話しているのを見た若いスタッフが
渥美さんも笑うことがあるんですねと
山田監督に言ったそうです。
笑顔を見せることもできないほどつらい状況で
寅さんを演じていたなんて知らなかったので驚きました。
黒柳さんのあの不思議な存在感で
渥美さんはひとときでも楽な気持ちになれたのでしょう。

向田邦子さん、久世光彦さんとのエピソードも
胸に残りました。
向田さん脚本のドラマに出演する黒柳さんを
見てみたかったです。

ベスト・オブ・ドッキリチャンネル (ちくま文庫)

ベスト・オブ・ドッキリチャンネル (ちくま文庫)

  • 作者: 森 茉莉
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1994/12
  • メディア: 文庫



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コメント 1

miyuco

xml_xslさん、nice!ありがとうございました。

by miyuco (2009-12-18 19:47) 

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