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あれからの日々 [日常]

朝日新聞の「亡くなられた方々」という欄に
今日も何人もの方の名前が載っている。
がれきの下にはまだまだご遺体が眠っている。

震災直後から被災地に入り
救助活動されていた方たちの文章を
ネット上でいくつか読みました。
頭が下がります。
ただただ頭が下がります。

3月16日から22日まで医療スタッフとして
陸前高田に派遣されていた若い女性の記録
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

「非常呼集なう」
「出動準備完了。いつでも来い出動命令」
自衛隊のかたのつぶやきまとめ
http://togetter.com/li/111965

「SAN値がガリガリ削られる…。」

このtweetの意味がわからなくて調べてしまった。
「SAN値」とは正気度を示すパラメーターの事だそうです。
(とあるゲーム上の用語)
あのときはSAN値直葬くらったと後で書いていました。
SAN値(正気)が一瞬でゼロになるというようなことらしい。
どれほど過酷な現場だったことか…
この方は一時派遣を終えていったん戻り
今は再度被災地入りしているようです。
それが任務だからと自衛隊の方々は言うけれど
想定できない場面のほうがきっと多かったと思う。
深く深く心から敬意を表します。


震災からずっと膨大な活字を読んでいる気がする。
これほど熱心に新聞を読んだのは
阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が続けて起こった
1995年以来だという言葉を
ネット上で見かけたけれどまさにその通り。
インターネットの記事までチェックしていると
時間はいくらあっても足りない。

 

【原発】
こんなにも知らなかったのだと思いしらされました。
そういえばこういう情報は読んだことがあったなと
うっすら記憶に残っていることもあります。
チェルノブイリの事故が発生したのは1986年。
東海村JCO臨界事故は1999年。
私はもう十分に大人だったので
新聞を読み、ニュースを見ていたはず。
原発についての報道を読んでいたはず。

誘致した地域への手厚い補助金、
雇用の創出を含め、地方経済にとっては救いであること
さまざまな利権が入り乱れていること
核兵器への転用目的が根底にあると囁かれていること
いろいろと週刊誌に書き立てられていました。
しかし一通り読んで頭の隅に追いやってしまった。

「日本は世界で唯一の被爆国」
だからこそ原発の扱いも慎重を期していると思っていた。
思いこんでいた。
甘い見通しで見て見ぬ振りをしてきた
その結果が今の状況です。

「原発は地球に優しいクリーンエネルギー」
…事故が起きなければね
と安易に考えていたのが情けない。

東京電力の商品は買いたくない
と思っても電気を使わなければ生活できない。
やりきれない思いが澱のようにたまっていきます。

平和ボケだった日本。
平和ボケ、上等。
被災した地で暮らしていたあの人たちに
平穏な日々を返してほしいです。

 


ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、
「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
「より脅かしてないほう」を選びます。
「より正義を語らないほう」を選びます。
「より失礼でないほう」を選びます。
そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。
   (糸井重里さんのTwitterより)

「Twitter」には
後先考えないいっときの感情が
勢いで書き殴られていることが多くてうんざり。
悪質なデマがいつまでもいつまでも垂れ流されてたり。
私みたいに情報に溺れそうになる人間には
信頼できる拠り所があると助かります。
いくつかあるのですが糸井さんのTwitterも
そのひとつです。

この方の強度は信頼できます。
紳士的だけど決して「腑抜け」ではない。
たまに牙をむくときがあって
そういうときは、つっかかっていた人を
逆に気の毒に思ったりする。
見くびらない方がいいよ。

*
*
*

言ってもしかたないんだけど
津波がこなければ…
地震だけならまだ何とかなったかもしれないのに…


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