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『凍りのくじら』 辻村深月 [読書]

9月3日はドラえもんの“生誕100年前”
ドラえもんの誕生日は2112年9月3日
ということを、はじめて知りました。
息子たちがアニメを見ていたのですが
私はあまりくわしくは知らない。
甘ったれののびたとか母のキャラクターとか
友人間の上下関係とか好きになれなかった。

ドラえもんがモチーフになっているこの作品を読み終えて
これほどまでに愛されている理由がわかった気がしました。

ドラえもんの道具、ストーリー
そして「そこに流れる哲学と優しさ」
散りばめられている作品
『凍りのくじら』

最後に大きな「光」が主人公を包み込みます。

最初は嫌悪感が先にたち
読むのがつらいかもしれないけれど
これから読む方はどうぞ読み通してみてください。
すてきな作品です。

futaba.gif

藤子・F・不二雄をこよなく愛する、
有名カメラマンの父・芦沢光が失踪してから五年。
高校生の理帆子は母を病気で失おうとしている。
そんなとき「写真を撮らせてほしい」と
ひとりの青年が理帆子の前に現れる・・・

futaba.gif



理帆子のイヤな女ぶりの描写が饒舌すぎて
読みはじめは少々、いや、かなりきつい。

「私はこの中で自分一人だけが『違う』」
「私は多分この場を楽しむには少し頭が良過ぎる。」
「私は寂しいし、孤独だけど、覚めている。」

藤子先生は「SF」というジャンルを
「少し不思議な物語」のSF(すこし・ふしぎ)と表現する。
「スコシ・ナントカ」は理帆子のなかに残り
周りの人にレッテルを貼る道具となる。
ある人は「Sukoshi・Fuan(少し・不安)」
ある人は「Sukoshi・Free(少し・フリー)」
それは傲慢なことであり人を馬鹿にした行為だ。
人はさまざまな顔を持っている。
すべてを見ることなどできるはずもないのに
わかったつもりになり、したり顔で決めつける。

しかし、こんな理帆子のような考え方を
一瞬でも心の中に浮かべたことがある人間にはわかるはず。
タイトルの「冷たい氷に閉ざされたくじら」は
理帆子のことなのだと。
自分の心にまでラベルを貼り窮屈そうに生きている。
きっと自分のことを好きではないのだと思う。


痛ましくて読んでいるとつらくなる。
破綻するのが目に見えているのに。
どうにかならないのかな、
どうにかなってほしいと思いながら読み続ける。
頭でっかちで思い上がったところはあるけれど
不器用でどうしようもなくひとりぼっちの子だと
徐々にわかってくるから。

ある日、一つ年上の男子生徒があらわれる。
やわらかく理帆子を受けとめる聞き上手な青年。
そして彼に導かれるように出会った口のきけない少年。
10歳の男の子・松永郁也が登場してから
物語は大きく動き始める。

不穏な影は理帆子の元恋人・若尾。
この甘ちゃんのストーカー男は
直木賞を獲った『鍵のない夢を見る』の
「芹葉(せりは)大学の夢と殺人」に登場する男と
同じ造形ですね。

「わたしは自分をかわいそがりたくて、
若尾をかわいそがった。
生身の彼のいない場所で、私は。」

「Sukoshi・fujiyuu(少し・不自由)」
若尾にあてはめた言葉が間違っていると
理帆子はすぐに気づく。

「私が彼を曇った目で見つめ、
一緒になって夢に寄り添ってみせていた
甘いテンションの時」
それは一年ほどで終わった。

「彼の本質なんて、本当は最初からわかっていたのに、
私の心はそれを直視しようとしなかった。
私もまた、自分にとって都合のいい若尾に、
そこに存在して欲しかったということだ。」

ここまでわかっていても
周りの人の忠告を聞かなかった
自分の心に点滅する危険なシグナルにも
見て見ぬふりをした。

今の若尾は「Sukoshi・Fuhai(少し・腐敗)」
しかし腐敗を加速させた原因は理帆子にもある。

「わたしは自分をかわいそがりたくて、
若尾をかわいそがった。
生身の彼のいない場所で、私は。」

代償はあまりに大きい。

しかし・・・

プロローグで理帆子が語っていた「光」
それはこのことだったのですね。

写真集にたくされた母からの言葉。
「光」とともに受け取った言葉。

理帆子はきっとラクになったでしょう。
息苦しさを感じることは少なくなったでしょう。
よかった。

母が残した写真集は圧巻でした。
不器用な親子。母と娘はそっくりです。


ドラえもんの道具を素材に使った作品といえば
羽海野チカの短編「星のオペラ」という傑作がありますね。
こちらも大好きです。


 ☆☆☆ 以下、未読の方はご注意を ☆☆☆

*

*

*

「居心地の良さを感じる」

だからこそ理帆子は別所あきらに
心のなかにあるものを語ることができた。

切花を異様に嫌がり鉢植えを好む理帆子の母。
切花の花束を見て、喜ぶことができずに
「勿体ない」としか言うことのできない母を
吝嗇家で生活感に満ちていて貧しい感性の持ち主だと
娘は思っている。

自分も苦手だとあきらは言う。
「切花を生き物の死体だと捉え、
それ以上の何物にも見れないからだ。」

理帆子に必要なのはこんな風に違う視点から
見ることができる人なのでしょう。
しかしそれ以前に、人との信頼関係がなければ
違う考えを受け入れることはできない。
理帆子はあまりにも八方塞がりです。

「実際に対等な人間が周りにいるかどうかは問題ではなくて、
いない、と彼らが自覚してしまっていることが問題なんだ。
思ってしまうものは、もう仕方ない。」

あきらが理帆子の前にあらわれた理由がよくわかります。

「最後の一匹のところに行きたかった。
ー傍に行きたかった。
弱っていくのを見てられなかった。
どうにかしたかったんだ」

「Sukoshi・Fujikosensei(少し・藤子先生)」は
愛娘を案じ、軌道を修正しようと
ドラえもんのように異世界からやってきたのですね。

間に合って本当によかった。

自分が何を望んでいるか
素直に感じとることができたのだから
きっと理帆子はラクになる。
「頭でっかち」なフィルターはわきに置いて。

理帆子はあきらとの会話を折に触れ思い出し
そこに父と母の物語を見つけることでしょう。

「テキオー灯」
すてきな道具ですね。
10代の私にも届けてあげたい。

今、この時も必要としている人は
大勢いるのではないかな。

「二十二世紀でも、まだ最新の発明なんだ。
海底でも、宇宙でも、どんな場所であっても、
この光を浴びたら、そこで生きていける。
息苦しさを感じることなく、そこを自分の場所として捉え、
呼吸ができるよ。氷の下でも、生きていける。
君はもう、少し・不在なんかじゃなくなる」

凍りのくじら (講談社ノベルス)

凍りのくじら (講談社ノベルス)

  • 作者: 辻村 深月
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/11/08
  • メディア: 新書


タグ:辻村深月
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