SSブログ

やなせたかし先生、ありがとうございました。 [読書]

やなせたかし先生がお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りいたします。

先生が作り出した「アンパンマン」は
子どもだけではなく母にとっても大きな味方でした。

むかしむかしの話ですが・・・
次男の出産で入院したとき長男は二歳三カ月。
お母さんべったりの長男と離れるのははじめて。
私は不安でいっぱいだった。
しかし誰よりも不安なのは長男だったはず。
お友だちのいっぱいいるマンションを離れ
日中はおばあちゃんしかいないだだっ広い家に預けられ、
夜になってもお母さんもお父さんもいない。

しかし、「アンパンマン」がいてくれた。
アンパンマンのビデオがなぐさめてくれました。
長男は1988年11月生まれ。
アンパンマンのアニメは10月に始まったので
よく見ていて大好きだった。
「バイバイキーン」と言っている幼い声が
今でも耳に残ってます。

初めての子育てに右往左往する未熟な母親も
子どもを癒してくれるアンパンマンに助けられました。

やなせ先生、本当にありがとうございました。

dot blue.gif

漫画界の最長老で、国民的な人気アニメ「アンパンマン」
などの作品で知られる漫画家のやなせたかし
(本名・柳瀬嵩=やなせ・たかし)さんが13日午前3時8分、
心不全のため東京都内の病院で死去した。94歳だった。  
音楽の分野でも才能を発揮、
故いずみたくさんが作曲した「手のひらを太陽に」の
作詞を手掛けた。  
三越宣伝部で包装紙のデザインなどを手掛けた後、
漫画家として独立。
雑誌に描いていたアンパンのキャラクターが、
1988年放映開始の日本テレビ系テレビアニメ
「それいけ!アンパンマン」でブレークし、
国内だけでなく、海外でも大ヒットした。

dot blue.gif

1970年代の中学生にとって、
30分電車に乗って友だちと新宿に行くことは
とてつもなく大きな冒険だった。
目的地はアドホックにあるサンリオショップ。
少ないおこづかいで何が買えるのか
そんなに広くないお店のすみずみまで見て回り
ためつすがめつ吟味する。

そこにあったのが「詩とメルヘン」
大判の絵本のような月刊誌。
「中原中也」の詩が載っていました。
「湖上」だったか「サーカス」だったか。

味戸ケイコさんがイラストを描いた
安房直子さんの作品が大好きでした。
東逸子さんのエッチングに見とれました。

連載していた「アンパンマン」は
ちょっと暗めの画風が苦手だった。
アニメのアンパンマンと
記憶のなかのアンパンマンが
なかなか一致しませんでした。

「責任編集・やなせたかし」
表紙にこう書かれていたのを見て
初めてやなせ先生のお名前を知りました。
もう40年も前のおはなし。

夢の果て―安房直子十七の物語

夢の果て―安房直子十七の物語

  • 作者: 安房 直子
  • 出版社/メーカー: 瑞雲舎
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 単行本

 


nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 4

綺華

恥ずかしい過去ですが、小中学生の頃は
詩を書くのが好きな子供で、
やなせさんの影響が大きかったです。
詩とメルヘンもホントに絵本のような大判の雑誌で
子供のおこずかいではなかなか買えなくて
近所の本屋で立ち読みしていました。

確かにアニメと違って当時のアンパンマンって
色彩がもっと暗めでしたよね。
でもちょっと夕方チックなやなせさんの絵と、
今思うとちょっとブラックな内容もあったと
思われる詩も両親の不仲や離婚もあり、
子供ながらに共感したり
慰められたりしたことを思い出しました。

保育士になって初めてあの頃見たアンパンマンが
絵本やアニメになって原作がやなせさんと知りました。

アンパンマンの主題歌を聞くとなんだか
涙が出てしまい子供たちになんで泣くの?と
不思議がられました(笑)
by 綺華 (2013-10-18 09:55) 

miyuco

>綺華さん
「詩とメルヘン」に投稿しようと
がんばって詩を書いていた過去を
誰にも言うまいと固く誓っている
私みたいな人間もいますよ・・・(笑)

アンパンマンの主題歌を聴いたとき
子ども向けの歌詞としてはどうなのかな
言葉の選び方が難しいのではないかなと
当時は思いました。
でも、やなせ先生の強い意志が反映された
歌詞だから心に残るのだと今はわかります。
子ども向けとかそんなこと二の次でも
本物はきちんと伝わるんですね。
これからもファンは増え続けることでしょう。

nice!とコメントありがとうございました。
by miyuco (2013-10-19 21:06) 

sknys

miyucoさん、こんばんは。
やなせ先生はCOMで「まんが封切館」(1969-71)を連載していました。
印象深いのは読者投稿欄(ぐら・こん)で「1コマ・4コマ」マンガの選者だったこと。
選評は明快でユーモアもあった。
常連入選者だった方倉陽二さんが藤子・F・不二雄先生の後を追うように逝ってしまったのを、どのような思いで見送ったのだろうか。合掌。
by sknys (2013-11-28 20:49) 

miyuco

sknysさん、こんばんは。
先生にはアンパンマンの前に
COMの時代があったんですね。
やなせたかしとCOM
今ではちょっと異質な感じがしますが
アンパンマン以外の先生の顔があるのも
当然ですよね。
コメントありがとうございました。
by miyuco (2013-12-01 18:03) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0