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『まほろ駅前狂騒曲』 三浦しをん [読書]

大好きなまほろシリーズ
「厄介事に巻きこまれるのが仕事みたいなやつだからな」
とインテリヤクザの星に言われる通りに
今回も多田便利軒はいろいろと忙しそうです。

行天がもう少しラクになればいいなと
思いながらいつも読んでいました。
簡単なことではないと、わかってはいるけれど。

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多田は四歳の女の子「はる」を預かることになる。
三峯凪子とパートナーの娘であり
生物学上では行天の娘でもある。
しかし行天は子どもを拒絶するに違いない。
さてどうなることでしょう。

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「こわいもんなんかあるのか?」
「あるよ。記憶」

「自分ごと完全に消し去りたいほど恐怖する記憶」
とはいったいどんなものだろうと多田は考える。

「かわいがるのも叱るのも、
俺にやらせたら『苦痛を与える』のと
同じことになる」
「俺がそうされてきたからだよ。
それしか知らないからだ。」

「おまえは、自分がされていやだったことを、
小さな子どもに対してしたりはしない」

多田にはわかっている。
しかし行天は自分を信じることができない。

「過去を見据えるあまり、過去と引きあい、
ふとした拍子に黒い穴へと落ちていってしまいそうだ。」
と多田は思う。「昏い目」だと。

行天の母親は「宗教」に嵌まっていたようです。
読者である私はイヤな予感がした。
宗教は手ごわい。
行天はまた手ひどく傷つけられるのではないか。

結果的にそんなことにはならなかった。
家族の中で逃げ場を失い
外に救いを求める手段も持たず
たったひとりで身を縮めていたあの頃とは
違う場所に今の行天はいるのだから。

子どもを出すのは反則だよなと
ちょっと思ったけれど、仕方ないですね。
荒療治がないと前に進めないこともある。

「考えるな、感じろ」

行天らしい表現です。
小指の傷は痛ましい記憶だったけれど
そのあとについた二度目の傷跡はそうではない。

「このごろようやく、
本当にまえを向いて歩きだせそうな気がする。
明るいもの、あたたかいものを求める自分を、
許せそうな気がする。」

多田はこんなふうに思い始めてます。

「一度味わった感情や経験を消すことはできない。
抱えて生きるだけだ。
行天はそれを淡々と実践しているし、
淡々とした実践の軌跡に満足しているのではないかと、
多田には思えた。
どれほどの努力と苦しみを要する実践であるか、
吹聴するのは行天のよしとするところではないだろう。」

「行天。おまえも俺も、
自分のなかの暗闇に沈むことには失敗したみたいだぞ。」

行天は自らの居場所をこしらえました。
職と部屋を確保しました(笑)

「ここを出たら、
たぶん行天は振り返りもせずに街角を曲がり、
そのまま暗闇に溶けてしまう。」
多田はもうこんなふうに危惧しなくてもだいじょうぶ。

「多田さんの旅は、そろそろ終わるのかもしれないね」
「行きたい場所に、たどりつけたってことだ。」

曾根田のばあちゃんの言葉は当たっているのかな。

 

***

 

行天の人間性を周りにいる人たちは信頼している。
信頼していなかったのは
行天本人だけだったかもしれない。
過去にとらわれ怯えながらも
引きずりこまれないようになんとか踏ん張っている。

「正しいと感じることをしろ。
だけど、正しいと感じる自分が正しいのか、
いつも疑え。」

同じような境遇の裕弥に行天はこう言いました。
そして親からされた仕打ちを初めて口にする。
「部屋に内側から鍵をいくつもつけた。」
それは吉田秋生の作品「ラヴァーズ・キス」の朋章が
母親から受けた仕打ちと同じだったのかもしれない。


亜沙子が行天を信頼しているのと同じように
行天が亜沙子を信頼していることにちょっと驚いた。
ふつー逃げ込む先をそこにするか?
ギョーテンらしいけどね。

みんなが勢ぞろいした最後のイラストがとてもよかった。
またみなさまにお会いできるといいな。
でも、これで最後でもいいかな。
これからもまほろで生きていく彼らの姿が想像できて
とてもいい終わり方でした。

映画化が決まっているようですね。
楽しみです!

まほろ駅前狂騒曲

まほろ駅前狂騒曲

  • 作者: 三浦 しをん
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2013/10/30
  • メディア: 単行本


 


タグ:三浦しをん
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